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2007年02月 アーカイブ

2007年02月02日

2月2日のひとこと

◆昔の競売・その1◆

昭和20年代の中頃、初めて父に連れられて、東京地裁の競売場へ行った。
日比谷公園の前の焼け跡に建てられた2階建てのバラックであった。1階と2階で同時に競りが行われていた。父は階段を駆け上ったり降りたりと忙しく行き来して、両階で競っていた。

普段の父と違い、大変な迫力であった。
小学生だった私を何故競売場へ連れて行ったのかよく分からないがそれ1回きりのことであった。それから20年後に自分が競売場に出入りする様になるとは予想も何も出来なかった。競売場が呼び寄せたのだろうか?

当時は敗戦直後の混乱期で競売件数もやたら多かったと聞く。M会J一家が牛耳っていて、競売屋と言われる人達以外の一般の人は全く参加出来なかった。もし参加するとすれば、J一家のS組の四天王と言われた人の誰かに依頼するしかなかった。競売場とM会の完全な独占市場であった。談合も日常茶飯事、時に刃傷沙汰もありマスコミを賑わせた。


残念ながら四天王と面識はない。50年以上も前の話である。その頃の人、父と競合した人達はもう殆どいない。その父も23年前に亡くなった。79歳であった

2007年02月09日

2月9日のひとこと

◆昔の競売・その2◆

『1億!』
『1億1千万!!』
父と私の声が競売場に響き渡った。一割のキャッシュを執行官の前に積み、声で競る。これはもう男冥利に尽きる仕事であると、少なくともわれわれ競売屋は勝手に思い込んでいた。
父が言った。『素敵な女性でも出来たら競売場に連れて来い。そして、お前の競っている姿を見せてやれ。俺が競り負けてやる』


父とは結局二度ほど競り合い、二度とも私が勝った。
『さあ、来い!!』と私に向かってかけ声をかける父の姿が今でも目に浮かぶ。

私が競売場に出入りするようになった昭和40年代中頃には、M会だけではなく、多数の組関係者がいた。
競りの最中に『降りろ!』『明るい夜ばかりじゃないぞ!』『片腕置いていけ。』等々のチャチが入ることもあり、とても素人が入っていける様な状態ではなかった。競売屋といわれる人たちの中にも今迄会ったことのない様な人がたくさんいた。

2007年02月16日

2月16日のひとこと

◆昔の競売屋・その1◆

私道ばかり競落し、ドラム缶を並べ、通りにくくして、私道を通行する人達に買ってもらっていたMさん。
『宅地になっている道路は、時にいい担保物件になるよ。』とか、いろいろ教えてくれた、易しい良き人でした。早くに亡くなりました。

ある春にランドセルを一度に五個も買ったOさん、奥様以外に何人の女性がいたのでしょう。全部腹違いだったそうです。
この方も若くして亡くなりました。

アパートを競落し、一部屋だけ空け、毎夜馴れ合いの喧嘩をし、共同トイレを使用不可能なほどに汚して、住人がいたたまれなくなり、出て行くという様なことを業としていたS会社。
秘訣は唯一つ、ひたすらあやまる事だそうです。

嘘か本当か、芝浦の屠殺場から牛の首だけ買ってきてアパートの軒先に吊す。
これで皆出て行くなどとも言っていました。


いろんな競売屋さんがいました・・

2007年02月23日

2月23日のひとこと

◆昔の競売屋・その2◆

1年間に60件の収去(建物の取壊し)をしたIさん。
ある時一審で負けた事があった。
判決理由は『権利の濫用は、之を許さず』であった。


収去ではあるのだが、あまりに数が多過ぎたという事であろう。
民法の大前提を持ち出さなければならなかったところに、
判事の苦悶も読み取れるが、それに対してIさんは
『国は私を保護しないのなら税金を払う義務は無い。』
と、ジュリスト片手にまくしたてていた。

二審ではIさん逆転勝訴。
『一審の判決はあまりにも感情的である。』
と、二審。

Iさん、高笑いであった。


『ちなみにIさんの判例は100件を越える。』
と、本人が言っていた。
とても弁護士もかなわない様な達人が、競売屋にはいた。

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